Jリーグと出会った時の話
私がなんでJリーグを見るようになったのか、そしてグルージャ盛岡を応援するようになったのかについて書いたことがなかったと思うので、書いてみたいと思います。何しろ記録がないのでいろいろあやふやだったりはしますが。
私が明確にJリーグというものに惹かれるようになったのは1999年のことだったと思います。
それまでの私のスポーツ観戦といえば年に1回来るプロ野球くらいで、Jリーグはたまにニュースで見るものくらいの存在でした。あ、ただ、セガの「サカつく」シリーズはよく遊んでいたので、どういうチームがあってリーグの構造がどう、といった知識はあったと思います。
1999年 厚別公園競技場
1999年のGW、私は札幌へ旅行に出かけました。行程の大半はいうなればありきたりな市内観光や小樽観光といったものだったのですが、その時の私は「ちょっと毛色の変わったものを取り入れてみよう」と思い、J2のチーム「コンサドーレ札幌」の試合のチケットを購入したのでした。
正直期待はしていませんでした。「J2」、Jリーグの2部です。当時の私がJリーグ全体に対して持っていたイメージは、失礼な話ですが「開幕時ほどの勢いはない右肩下がりのプロスポーツ」といった感じ。しかもその「2部」ですから、だいぶこじんまりとした光景を頭には思い描いていました。
行ってみたらだいぶ様子が違いました。観客でみっちりなのです。
まじか。2部でこの客の入りなのか。正直驚きました。
そして試合が始まってみれば札幌の一方的なゲームで6-0。当然会場は大盛り上がり。どっちに肩入れしているというわけでもなかった私は会場の熱気を浴びて大変楽しい時間を過ごしました。
吉原宏太の名前はこの時覚えました。
「Jリーグも楽しいもんだな」と思った私は、その後、岩手県営運動公園で開催されたナビスコカップを観に行っているはずなのですが、そっちはあんまりピンとこなかったようです。試合時間を示す時計の針を人の手で動かしていたのは覚えてますが。
2001年 仙台スタジアム
当時の私は隣県に「ベガルタ仙台」というチームがあることは知っていました。ただ、それ以上の情報を持っていなかった私は仙台に足を運ぶことがありませんでした。
ようやく「ベガルタ仙台を見てみっかな」と重い腰を上げた時には厚別での経験から2年が経過していました。
チケットを買った時点では正直仙台を侮っていました。いうても東北だし、札幌ほどの盛り上がりは期待できないだろうと。
泉中央の駅を出たところからその舐めた考えは大きくひっくり返されます。
駅から近すぎる超キレイな仙台スタジアムに入った瞬間、目に入ったのはゴール裏を埋め尽くす黄色い集団。
選手紹介が始まった途端、その人の群れがとんでもない音量で叫び始めるじゃないですか。
度肝を抜かれました。
試合が始まれば、これまで聞いたことのないようなチャントとコールで楽しげに選手を鼓舞します。
最高にあがる経験でした。J2でこれが見られるのか、楽園はこんなに近くにあったんだと思いました。
その後
その後は、Jリーグの熱狂を求めて仙台の試合に通う…とまではいきませんが足を運ぶようになり、その隣の山形などにも足を伸ばすようになりました。
モンテディオ山形の存在は、「同規模の都市である盛岡にも同様の盛り上がりを作ることはできるのではないか」と考えるようになるきっかけとなりました。それが、2004年にグルージャが発足した際「盛岡に最高の熱狂が実現できるように応援しよう」と決意したことにつながっています。
こうして振り返ってみると、私がJリーグに対して興味を持っている部分というのは「サッカーそのもの」というよりも「その周辺」であるように思われます。10年以上観戦を続けてもサッカーを見る目がまったく育たないのもむべなるかな。